大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和56年(う)962号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

一弁護人の控訴趣意第二の一及び二並びに被告人の控訴趣意二ないし六について

論旨は、要するに、大麻取締法は大麻の栽培等を禁止し、その罰則として大麻を栽培し、輸入し、又は輸出した者を七年以下の懲役に、大麻を所持し、譲り受け、譲り渡し、又は使用した者を五年以下の懲役に、それぞれ処する等と規定しているが、(一)およそ、右違反行為に対し刑事罰の科せられることが許容されるためには、大麻を使用することによつて、国民の保健衛生上に危害を及ぼす有害性の存在することが前提とされるべきところ、本件においてこれが立証し尽くされたとはいえず、したがつて、右のような規制は国民の大麻吸煙の自由と幸福追求の権利を侵害するものというべきであるから、大麻取締法の右罰則規定は憲法一三条に違反する。(二)人体に対する作用が大麻よりはるかに有害である煙草やアルコールの摂取が禁止されていないにもかかわらず、大麻の吸煙のみを禁止し、その違反者に対して刑事罰を科することは、大麻吸煙者に対するいわれない差別というべきであるから、大麻取締法の右罰則規定は憲法一四条に違反する。(三)大麻の有害性についての神話が科学的な研究によつて突崩され、世界的にみて大麻に対する規制が刑事罰から解放される傾向にある現在、右の如き懲役刑以外の刑を科することのできない大麻取締法の右罰則規定は、罪刑均衡上、不相当に苛酷であり、合理性を欠き、したがつて、刑事実体法が適正であることを要請している憲法三一条に違反する。以上の三点につき原判決が、大麻取締法を右憲法の各条規にいずれも違反しないとしたうえ、被告人の所為につき大麻取締法三条一項、二四条一号を適用して被告人を懲役刑に処しているのは、法令の解釈適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで訴訟記録及び証拠並びに当審における事実取調べの結果に基づいて、所論の諸点を順次検討してみるのに、

(一)  まず、大麻の使用が人体にいかなる影響を及ぼすか等について論じた資料として、

(1) 当審において取調べた「大麻に関する翻訳資料集」中の「『キャナビスの使用』―WHO科学研究グループ報告(一九七一年)」があり、右によると、例えば、「四、キャナビス使用の人体に対する影響」のうちの「(2)、即時効果」として、「……要するに、キャナビスは知覚作用を顕著に阻害するものであり、その程度は用量が増え作業が複雑になるにつれて著しくなる……」とし、「……高度の用量においては、通常、急性の中毒状態を呈し、その主要な現れの中には偏執的思考、錯覚、幻覚、自我喪失、妄想、錯乱、不安、興奮などが含まれることが多い。そうした症候は急性精神異常に似ていることもある。時にはせん妄、見当識喪失、顕著な意識の混濁といつた、中毒性精神病の症候もみられ得る。更に他の事例においては、仮想恐怖による動揺と興奮が特に顕著である。……急性中毒に似た症候は比較的少量のキャナビス、例えば一本のマリファナタバコ吸煙によつても、特にむくな使用者の場合には、発生することがある。」と指摘しているほか、「(3)、後遺現象」についても多面的な検討を加えている。

もつとも、原審において証人として取調べられたアメリカにおける大麻研究者の一人であるアンドリューワイルの証言によると、右のWHOの報告は、五〇年も前の資料を自らの手で再検討することもなく、単にそのまま収集したに過ぎず、したがつて到底信用しがたいものであるというのであるが、

(2) 同証人が右報告書との比較においてより信頼できると供述し、また、当審で取調べた東京大学教授の逸見武光に対する証人尋問調書(水戸地方裁判所における被告人須藤滋夫に対する大麻取締法違反被告事件の第八回公判期日に実施されたもの)のなかで同証人も客観性があり十分信頼がおけるとしている前提資料集中の「大麻及び薬物濫用に関する全米委員会の一九七二年報告」においても以下のような記載がある。すなわち、同書の「二の2、マリファナの使用者に対する効果の(四)、即時的効果」として、「……それは高度に個人的なものであり、また、用量、時間、作業の複雑さ、使用者の経験と関係している。……」と断わりながらも、「……少量の使用ではマリファナに酔つている個人は幸福感を味わう。最初の不安定感とはしやぎ状態は、やがて夢見心地の、気苦労のない解放感となる。時間と空間の拡大感などの感覚の変化がある。そして触覚、視覚、臭覚、味覚、聴覚がより敏感になる。……より高い中度の用量になると、……当の個人は急激な感情の変化、感覚像の変化、注意力の減退及び思考断絶、発想の飛躍、直近記憶の障害、連想障害、自意識の変化そしてある者にとつてはどう察力の高揚感といつた、思考表現体系の変化を経験するかもしれない。非常に多量の使用の場合は、幻覚症状が起こるかもしれない。その中には肉体感覚のゆがみ、自意識の喪失、感性的精神的幻想、空想、幻覚などが含まれている。……」とし、「……ほとんどの場合、マリファナによる陶酔は快適なものである。」しかし「まれにはマリファナ使用が不快な不安感、パニック感を、また特別な素因のあるわずかな者には、精神異常をもたらす。」とも指摘している。

(3) そして前掲原審証人アンドリュー・ワイルの供述も、人が大麻を摂取した場合、個人差や摂取量、その時の気分、環境、期待感等によつてその効果は異なるとしながらも、前記両報告が掲げている諸種の症状が生ずる可能性を否定するものではなく、同証人は、大麻吸煙の経験のない者が不安な環境においてこれを摂取した場合「パニック反応」を起こすことがある、とも述べているし、

(4) 更に、前掲資料集申の「アメリカ合衆国連邦議会に対する薬物濫用に関する大統領教書(一九七七年)」はマリファナの問題に触れ、「……確かにマリファナ使用から生じる医学的な害は限定されたものであろうことを示す証拠があるけれども、我々は、マリファナや他の薬物による慢性的陶酔が、人々にその社会環境や将来や自由時間を満たす他の建設的方法に対する興味を失わせることによつて、人々の生産性を損うおそれのあることを問題とすべきである。これに加えてマリファナの影響下での自動車運転は極めて危険である。……」と述べ、

(5) 次いで、最も新しい資料の一つと思われる、アメリカ合衆国保健教育福祉長官から連邦議会に対し人間の健康に及ぼすマリファナの影響に関する資料として報告された「マリファナと健康第八次年報(一九八〇年)」(警察学論集第三三巻第一〇号・第一一号所収)においても、人間の健康に及ぼすマリファナの影響について多くの点を指摘しているが、例えば、同年報「四の2のマリファナの急性効果」中には「……記憶機能と認識機能に及ぼすマリファナの急性効果は、その作業の内容とマリファナの供用量によつて異なるけれど、ほとんどの場合有害な結果をもたらす点では共通している。……」とか、「11精神病理学」中には「……人はマリファナの吸煙によつて、均合いのとれた物の見方を失つてしまい、急性の精神不安を起こす。このような反応は比較的経験の乏しいマリファナ使用者によく起こるようであるが、経験豊富な使用者の場合でも、予期せずに多量のマリファナを使用した場合には、このような反応が起こるものである。……」「……大麻の陶酔に伴い、精神過程のもうろう化、見当識喪失、錯乱、顕著な記憶障害等の特徴を含む急性脳症候群が生じることが報告されている。……」とも説示しており、

(6) また、九州大学薬学部教授の植木昭和の原審証言も、動物が大麻の摂取によつて異常な行動をとることは動物実験の結果によつて明らかであり、これをそのまま大麻の人体に対する作用とみるわけにはゆかないものの、大麻が人体に対してもなんらかの影響のあることは十分考えられ、その存在についての疑いが払拭されないかぎり、重大な害悪を生ずる可能性を予測する必要がある、と結論づけている。

以上みてきたとおり、当初大麻の有害性として挙げられていた諸効果のうち、その後の研究により、必ずしも大麻の影響と断定することまではできないとする点がいくつか認められるようになり、また、とくに長期摂取した場合の効果や精神病理学上の影響について十分解明されず、今後の研究の成果をまつ多くの問題点が残されていることは事実であるが、大麻について少なくとも叙上の如き人間の健康に対する有害性が確認され、弁護人提出の全資料をもつてしても大麻が無害であるとまで断定するに足りる明白な根拠を提供するものでない以上、国民の保健衛生上の危害を防止し、公共の福祉の増進を図ることを責務とする国家が、国民全体の福祉のうえから、大麻の保健衛生上に及ぼす危害を防止するため、その使用とこれに結びつく栽培や譲り渡し等の所為を、刑罰をもつて規制することも当然に許され、そのため個人の自由が制限されることもまたやむをえないことといわなければならない。したがつて、大麻取締法の前記罰則が憲法一三条に違反するとはいえない。

(二)  次に、大麻の有害性を煙草やアルコールのそれと比較したうえで、大麻に対する処罰の不当を主張する点について考察すると、原審及び当審で取調べられた関係各証拠(例えば、大麻に関する翻訳資料集五七頁の記載、前掲逸見武光の証人尋問調書中の供述等)からも窺われるとおり、およそ、右のような精神作動的薬物と称せられるものは、すべてその使用の量や頻度、継続期間等によつては、潜在的に人間に対し有害であるともいえる。しかし、それぞれの薬物によつて、それぞれ害の種類が違うのであるから、異なる薬物の間の有害性を単純に比較するということ自体、当をえたものではなく、その薬物のもたらしうる益、使用の歴史と広がり、薬物に対する国民の意識及び全体社会への影響の比較などといつた、より広い視野において検討してのみ意味のあることであつて、このような観点に立つて、煙草やアルコールについて考えてみると、これらは、我が国において、既に多年にわたり、それなりの社会的効用のある嗜好品として、広く国民生活のうちに定着するに至つていると同時に、その摂取により心身に及ぼす作用が周知のところとなつていて、これに対処する手段についても相応に習熟していることが認められ、大麻の場合と同一に論じえない点が多々あるのであるから、大麻の有害性を煙草やアルコールのそれと単純に比較したうえで大麻に対する処罰が不当であると主張し、これが憲法一四条に違反するとする所論は採ることができない。

(三)  更に、大麻の使用等に対する刑罰が過重であるとの主張について考えてみるのに、関係各証拠によると、大麻の有害性については、従来考えられてきたほど深刻なものではないとの認識の点で変革を遂げてきていることが窺われるけれども、大麻に有害性の認められること前説示のとおりである以上、その規制の範囲及び程度は原則として立法政策の問題であつて、あるいは、刑事政策上、事案により罰金刑をもつて処断するだけで十分である場合もあり、選択刑として罰金刑を科することもできるようにすべきであるとする見解もありえようが、現行法においても、量刑の幅の広いこと、とくに、酌量減軽や執行猶予の制度等を活用することによつて、科刑の運用を考えるならば、大麻取締法が憲法三一条に適合しないほど極端に苛酷な刑罰を定めたものとは到底いうことができない。

以上のとおり、大麻取締法は憲法一三条、一四条及び三一条のいずれにも違反するものではなく、結局、右と同旨の判断をした原判決に所論のような法令適用の誤りは存在しない。論旨は理由がない。

二弁護人の控訴趣意第二の三、及び被告人の控訴趣意七について

論旨は、大麻取締法は、「大麻」の定義として、同法一条において「この法律で大麻とは大麻草(カンナビス、サテイバ、エル)及びその製品をいう。」と規定したうえ、これを栽培し、所持し、使用する等の所為を刑罰をもつて規制しているところ、カンナビス属に分類される植物は、右サテイバ種のほか、少なくともインデイカ種、ルーディラリス種の存在することが明らかになつているのであるから、被告人が栽培した本件の植物がカンナビス・インデイカやカンナビス・ルーディラリスではなく、カンナビス・サテイバ・エルという種であることを立証しなければならないのに、その証明がないまま、原判決が大麻取締法の規制の対象を「アサ」と総称される植物全体と解し、本件の植物を「大麻」と認定したのは、右大麻取締法一条の解釈、適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで訴訟記録及び各証拠並びに当審における事実取調べの結果を検討するに、原審において取調べられた田中豊稔作成の昭和五二年八月二六日付鑑定書及び同人の原審証言によると、被告人の栽培にかかる本件植物がすべて大麻草(カンナビス・サテイバ・エル)であると認められ、更に、原審鑑定人である九州大学薬学部教授の西岡五夫も右物件につき幻覚剤であるテトラ・ヒドロ・カンナビノール(T・H・Cと略称される。)を含有する「アサ」(大麻の原料植物)である旨の鑑定を行つている。ところで所論は、カンナビス属にはサテイバ・エルのほかに数種のものがあると主張するのであるが、原審証人遠藤勝の供述によると、若干の反対説はあるが、大麻は植物分類学上一属一種であるといわれていることが認められ、また、前掲「『キャナビスの使用』―WHO科学研究グループ報告」にも「……植物学的に言えば、現在はただ一種類のキャナビスのみが認められている(C・サテイバ・L)が、過去においては世界のいろいろな場所で発見されるものに別々の称号がつけられていた(例えば、キャナビス・インデイカとキャナビス・アメリカナ)。」(前掲翻訳資料集一六二頁)との記載がみられる。なるほど、植物の「種」を細分化しようとする植物分類学者が存在し、右の見解に異を唱える者がないわけではないが、そのような学者の一人とみられる名古屋学院大学教授の石川元助においても、当審で取調べた同人に対する証人尋問調書(東京地方裁判所における被告人ジャック・クラウス・スタムに対する大麻取締法違反被告事件の昭和五六年二月一六日に実施されたもの)によると、大麻はカンナビス・サテイバ・エルの一属一種であるとするのが植物学界の通説的見解であることまで否定するものではなく、その他、原審証人西岡五夫の供述をも含めて、前叙判断を覆えすに足りる資料は見当らない。しかるところ、大麻取締法一条を右のように規定するに際し、カンナビス属に複数種のあることを前提としたうえで、特に、そのなかのサテイバ・エルのみを規制の対象とし、その他の種のカンナビスを規制の対象からはずす趣旨で立法されたと認むべき根拠も存在しない。

してみると、前記鑑定の結果に基づき、本件植物を大麻取締法において規制の対象としている大麻草であると認定した原判決には、結局、所論のような法令の解釈、適用を誤つた違法は存在しない。論旨は理由がない。

三弁護人の控訴趣意第二の四及び被告人の控訴趣意一について〈省略〉

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(矢島好信 杉浦龍二郎 内匠和彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例